視察・研修

2009年10月24日 (土)

経営計画書づくり

来月大阪で行われる「経営発表大会」に向けて、本格的な「経営計画書づくり」に挑戦しています。これこそ社長として一番の仕事ですね。・・・が、実際に始めてみると、これがなかなか大変なのです。日々自分自身と闘いながら、今も奮闘を続けています。聞くところ、全国の中小企業の中で、毎年経営計画書を作って運営している会社は、全体の3%もないそうです。

さて、世情がどうあれ、計画の目標数字が赤字であったり、業績の下降はありえません。この厳しい環境下においても、自社のもつ経営資源を最大限活用し、企業の発展を目指さなければなりません。世の中のプラス要因を見つけ出す、自社の長所や得意分野を分析する、問題点をチャンスに変える・・・などなど、幹部との検証会議も数回とりました。

作り始めて約2ヵ月・・・ようやくその骨格が出来上がってきました。発表大会では数多くのアドバイスをいただけます。それらを会社に持ち帰り、幹部会議で更に肉付けをして、内容の濃い経営計画書として、完成へともっていきます。そして来年4月の集会にて、全社員に発表する予定でいます。

会社の歴史、現在の状況、目指す方向と目標、そしてその戦略・・・などを全員が共有することで、必ず大きなパワーが出ることでしょう。企業のトップとして、強い使命感をもって顔晴り(がんばり)ます。\(^o^)/

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2009年9月21日 (月)

アンシン建設工業・企業視察

7月に掲載したアンシン建設工業さんへ、若い社員たちと共に企業視察をしてきました。豊田市の西側・・・お話されてた通り、農地が広がる静かなところでした。会社に着くと、多くの社員さんが笑顔で元気に迎えてくれました。

お昼は参加者たちが社員食堂に集まって、例の300円の食事をいただきました。メニューは紅鮭のホイル包み焼きと栗ごはん、うわさ通りの美味しさです。食べ終わってから、これまでの昼食の写真を拝見しました。驚くくらいたくさんの日替わり料理が映っていました。(もしかして食堂の方が簡単??)

そして午後から見学が始まりました。まずは社内のショールーム、事務所、加工場です。25人ほどの事務所には、社長の机もちゃんと並んでいました。続いて工事中の現場を2カ所・・・うわさ通りの綺麗さです。職人さんたちがいつも掃除機をかけているとのこと。最後がモデルハウスです。新築戸建とリフォーム提案(2棟)・・・大正ロマンをコンセプトにゆとりの空間、時間がゆっくりと流れていました。

そのあとは、社長と各部の社員のお話です。社長さんはこれまでの会社の経緯を、そして社員さんからは自分たちの仕事と、アンシン建設に対する感想などを話されました。感想の内容は、社長が好き、部署に垣根がない、誰にでも相談しやすい、みんな仲がいい、何事にも一致団結するなどなど・・・素晴らしい社風ですね。

原田社長に初めてお会いした印象は、「ニコニコして静かでやさしさがにじみ出ている」、そんな感じの方でした。その日もまったく同じです。事務所や食堂で社員さんと一緒にいて、お客様のこと、社員さんのことをいつも気づかっている、何かあったらすぐに対応してくれる・・・そんな後姿をみんなが見ているんですね。当社は事業所が9拠点あるので同じようにはいきませんが、原田社長の姿勢を見習うことはできると思います。

帰りの車の中でみんなに相談しました。「もし10年後に、他の人から『黒田社長はどんな人か?』と聞かれたら、みんなは『静かでやさしい人』と答える・・・そんな社長を目指したいが、どうだろうか?」と。残念ながらみんな笑っていました。^^;

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2009年6月24日 (水)

社員像の変化

2ヶ月あまりのご無沙汰をお許しください。先日来、数人の方々から更新がないことに注意を受けました。大いなる反省をもって再度頑張ります。どうかよろしくお願いいたします。

今年に入ってから、特に時代が変化しているように感じます。文明の発達や思想の変化に、金融危機が追い打ちをかけているのでしょうか?家電製品は大手量販店で買うことが常識だったのが、今やネットショップの方が安いと・・・本当に目まぐるしい世の中です。

今月の中旬、関西のあるネットショップに企業訪問をして参りました。ブランドウォッチのネット販売日本一の会社です。正社員6名、アルバイト12名、売上20億円・・・「なんと!」驚きです。社長さんの考え方が「正社員は仕組みを創り部下を教育する人。仕組みを使って業務をするのは全員アルバイトです」ということでした。

職場を拝見してみますと、社員さんは当社でいうところの幹部社員、アルバイトさんが当社では正社員です。ただし、業務全体がしっかりと「標準化・効率化・数値化・見える化」されています。社員さんは業務と会議に追われていますが、「自分が何を求められているか?」を明確に理解されています。アルバイトさんには、ホームページ制作、販売、仕入れ、クレーム対応、総務経理まで幅広い業務がありますが、「今何をしなければならないか?」、全員がちゃんと理解されていました。

2008年5月23日掲載の「インディな女性」にも、企業が求める社員像の変化について書きました。しかし今回ほど大きなギャップを感じたことはありません。この会社が早いのか?~当社が遅いのか?~それは別としても、「時代はその方向へ動いている。社会はクリエイティブ性とリーダシップ性を求めている」・・・これは間違いないことでしょう。

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2008年10月13日 (月)

北京視察(その1)

先週末に北京を視察してきました。約20年前、初めて北京を観て、約10年前にもう一度行き、今回で3度目です。第一の関心は、オリンピックをあのように成功させた「中国の実情」を知ることでした。

まず街を走っての印象です。近代的なビルが増え、街並みがより美しくなった、新しい高級車がとても多い、雰囲気が落ち着いてきた・・・などです。20年前は、乗用車があまり走っておらず、あっても古いものばかり、きれいとは言えないバスやタクシーがとかく目につき、そして自転車が怒涛のごとく走っている・・・そんな印象でした。今は自転車はめったに見ません。地下鉄が何本も通ったからでしょうか?またすべての乗り物がとてもきれいでした。

バスや地下鉄の運賃はとても安いです。バスは一律1元(約16円)、地下鉄は一律2元です。国が補助金を出しているそうですが、社内に広告が一枚もないので、将来もなんとかなるだろうと思いました。地下道の少なめの広告は日本よりも韓国企業の方が目立っていました。もちろん一番目立っていたのは中国企業です。

ガイドさんが言われるには、「自動車でも電化製品でも、日本製がいいことはみんな知っている。でも実際に買うとなると、少しでも安いものがいいから・・・」ということでした。ハイクラスの自動車はアウディがよく目につきました。レクサスを見たのは1度だけです。日本車は高いので、ヨーロッパ車が圧倒的に多い・・・ということです。

11日の土曜日は、オリンピックスタジアムの一般初公開に当たり、とんでもない人の数でした。中に入る人の列は想像を絶っしていました。メインスタジアムの「鳥の巣」は有名ですが、国会議事堂の隣に建つ新しい音楽堂もとても素敵でした。長い歴史に培われた古い町並みや建造物、現代の技術を競う超近代的な建築物や道路網・・・それらがバランスよくとれた北京の街づくりは、とても上手だと感じました。

それから最も印象的だったことが、観光地の人の多さです。お土産店も増え、20年前とは比較にならないほど観光化されていました。「20年前は、ここに来る人の95%が外国人でした。今は95%以上が中国人です」というガイドさんの話に納得。「10年後は入場規制になるのでは?」・・・とやや心配になりました。

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北京視察(その2)

今回の企業視察は「TOTO北京工場」を訪問しました。TOTOさんは中国には数ヶ所工場を持たれておられます。その中で北京工場の操業は13年前です。当初は日本や欧米向けの製品を造っていましたが、昨年から生産するすべてのものが、中国での販売となったそうです。中国で販売する衛生陶器のメーカー数は、ヨーロッパから中国製まで含め、30社ほどあります。その中でTOTOさんは、価格は高めですが品質と信用で、ぐんぐん伸ばされてきました。

工場内は限りなく自動化が進んでいます。整理整頓がしっかりとし、衛生環境も抜群でした。それから従業員さんたちの礼儀正しさや勤勉さが目に留まりました。20年前からみて、中国人は所得が上がっただけではないことが、よくわかりました。日本人責任者の方は次のように話されました。「まず全員に朝の挨拶から始めました。それから整理整頓の徹底です。安全と品質に直結することですから。そして、よく飲んでよく話す・・・それを心がけています」と。

現在中国には、たくさんの国の企業が進出しています。中国の人が話していたのですが、日本企業はどちらかというと人気が低いようです。気質的な面もありますが、基本的にはコミュニケーション不足だと感じました。また中国人は、ある意味で日本人に嫌悪感をもっています。ギョーザ事件やダンボール肉の件を、さも「中国は悪い国!」と世界に宣伝し過ぎたからです。「逆の立場だったら・・・」と考えればよく理解できますね。なんとも寂しい気持ちになりました。

中国は、経済が社会主義から資本主義に変わりました。そのため確かに格差は生まれてきました。しかしながら、国民は間違いなく豊かになってきています。努力して会社を大きくする社長がいます。一生懸命勉強して高級官僚になる人もいます。国民は基本的に自分で職業を決めることができます。北京だけをみても「中国の成長はまだ始まったばかり・・・」と感じた次第です。

さて、経済が成熟期を迎えた日本・・・将来に向けて、衰退することなく、繁栄を続けていくためには???・・・それを知ることが視察の目的でした。「輸出なくして日本はない」ことは誰もが知るところです。益々経済発展を遂げる中国、そしてインドやブラジル、さらにそれに続く国々があります。今回特に実感したのは、【それらの国の人々にしっかりと受け入れられる人格形成、価格を含めて十分に満足していただける商品づくり、そしてしっかりと向き合える誠実さと情熱・・・以上が今求められているのではないか?】ということでした。いかがでしょうか?

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2008年9月12日 (金)

優良企業の視察研修

今週の火曜・水曜と、2日間かけて滋賀県と愛知県の優良企業4社の視察研修に参加してきました。以前から加盟している「建設業支援ネットワーククラブ」の主催です。4社とも同じ会の会員企業さんです。

滋賀県の1社は西和不動産販売㈱さん・・・大津市のベッドタウン地域を中心に、大規模なコンセプトタウンを宅地分譲し、同時に建築も請け負う方式をとっておられます。もう1社はびわこホーム㈱さん・・・宅地販売と住宅請負を事業に、甲賀、湖南、蒲生エリアに絞っておられます。ただそのエリアにおいては、住宅着工戸数が5年連続第1位で、名実ともに地域No.1企業です。

愛知県の1社は水谷工業㈱さん・・・あと施工アンカー工事を東海地区を中心にご活躍です。取引の会社はスーパーゼネコンから200社に及びます。現在は耐震補強工事が増えているとのことです。もう1社は㈱安江工務店さん・・・天白区、千種区、中村区、緑区で4店舗を構え、リフォーム工事を中心に事業をされてます。年商2億円だったリフォーム部門を、8年間でなんと18億円に伸ばされました。

4社の方々に共通していることがたくさんありました。「自己資本を着実に伸ばしている。明確な経営理念をもっている。夢のあるビジョンに向かっている。社長が熱く燃えている。社員さんが明るく元気。全社員が勉強している」・・・などです。さらに、自社の強い部分に経営資源を集中し、そこを徹底的に深めて、お客様への限りない満足を追求されてます。そして少しずつ着実に、事業の巾を広げておられます。他社でもできることには手を出さない・・・そんな姿勢が伺えました。

世の中の勝負のほとんどが、戦う前からすでに勝負はついている・・・そんなものだと思います。オリンピックでメダルをねらう勝負などは特別で、高いレベルにある者同士が競うからこそ、ドラマや感動があるんですね。しかしこと経営においては、「勝てる勝負を重ねるところに永続的発展がある」・・・それが本質だと思います。大企業がまさにそれであり、この4社にも共通していることです。

2日間の視察研修では、本当に多くの学びがありました。当社も更なる前進に励んでいきます。まだまだこれからです。

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2008年5月25日 (日)

成田研修

当社は1月から「鉄筋コンクリート内外断熱工法」を導入しています。名前の通り、鉄筋コンクリートの内側と外側を断熱材で囲う工法です。強さ、性能、耐久性の面で抜群です。以前から高山や東京など、いくつか建築中の現場を観てきました。そして今回は、営業・設計・工事のスタッフ6名で、成田市の平山建設さんへ勉強に行ってきました。

平山建設さんは、内外断熱工法の施工実績がとても多い会社なのです。明治34年の創業で、社歴は107年にもなります。成田市では知らない人がいないほど有名です。官公庁の建物から、ホテル、店舗、マンション、戸建住宅に至るまで、相当幅広く建築されています。また従来からの伝統を引き継ぎつつ、新しい工法もどんどん採用されておられます。

まず事務所で、設計図面に基づきながら、写真や模型で細かく指導を受けました。そのあと実際の工事現場を案内していただきました。最初は戸建住宅、次に賃貸マンション、最後は成田山の参道沿いの店舗付き住宅です。勾配屋根をもつ純和風の建物でした。「かなり難しいことをされてますが・・・」と質問したところ、「当社がつくる鉄筋コンクリート建築は、すべて内外断熱工法を基本としています」とのこと・・・一貫した理念に感心しました。

平山社長の言葉です。「家族構成の変化などによって、20年程で建て替えを余儀なくされる日本の戸建住宅・・・当社はその常識を覆したいと思いました。キーワードは『創業100年の建築会社がつくる100年住宅』・・・独自の技術と発想力で、次の世代まで愛着を持って受け継がれる、本物の住まいづくりを提案しています」と熱く語られました。

「いいもの(材料、工法など)を使って、よりいいもの(建物、住まい)をつくる」・・・当社も念いは共通です。この機会を通じて、素敵な社長、素晴らしい会社と出会えたことに感謝します。

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2008年5月16日 (金)

宮崎研修

今月上旬、東国原知事で話題の多い宮崎県へ行ってきました。ユーミーマンション加盟社の中で今最も活躍されている、宮崎県の神崎建設工業さんから指導を受けてきた次第です。神崎社長さんは現在66歳、48歳で会社を興されて18年、まことに素晴らしい経営をされておられます。

松下幸之助氏の経営哲学のふたつをしっかりと実践されてました。ひとつは「中小企業が大企業に勝つ方法はひとつ・・・間口を狭めて奥行きを広げる」、そしてもうひとつが「お客様の要求にしっかり応えれば報酬は必ず付いてくる」というものです。マンション経営の提案事業1本に絞り、徹底して高い入居率を維持されておられます。それでお客様からの信頼はもとより、地域からの人気がとても高い訳です。

当社のユーミーマンションも現在では100棟を超えました。目指すべき答えは「高い入居率」です。ユーミーマンションとアパマンショップのスタッフ全員が目指すものは、ただひとつ・・・「どうしたら入居者様により気に入ってもらえるか?」・・・営業、工事、総務とかの立場は関係ありません。羅針盤が示す方向は同じです。

帰りに立ち寄った宮崎県庁横の物産館は、このゴールデンウィークに過去最高の来場を記録したそうです。東国原知事の大きなパワーもいただいて・・・さぁ~クロダハウス丸~北極星に向かって「全速前進!」

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2007年11月14日 (水)

超優良企業の視察

銀行の「若手経営者の会」で富山の超優良企業・コーセル㈱さんの視察を企画しました。北陸銀行さんのお骨折りで、創業者で現会長の「飴久晴氏」からご講演もいただけることになりました。とても貴重な機会なので、当社から幹部7名を連れて、一緒に昨日参加してきました。

コーセルさんは富山本社の「スイッチング電源」のメーカーです。その部品はロボットからCTスキャン、自動販売機、ゲーム機、プラズマテレビまで相当幅広く使用されています。創業39年、平成18年度決算で売上高206億円、経常利益62億2300万円、なんとその率が30%を超えています。経営者として信じられない数字です。

まず最初に、立山工場で会社の概要を説明していただきました。配られた資料に目を通して驚いたのは、平成15年から18年まで社員数が350人前後でほぼ変わらないのに、売上高が144%アップ、経常利益で183%アップだったことです。平成19年度は新たな研究開発や海外戦略に向けて385人と増えていますが、経常利益率は29.6%とやはり脅威の数字を続けています。

次に工場内を見学しました。精密機械はあまり詳しくありませんが、一見して機械台数に比べて人の数が少ないように感じました。非常に細かな部品を自動ロボットが素早く組み立ていきます。おそらく徹底した自動化と人の削減をされたのでしょう。素晴らしい合理化でした。

その後、富山市の本社に移動し飴会長の講演を聞きました。経営の根本のお話でした。まず「経営とは『入るを計り出るを制す』、小学1年生でもわかる引き算である。そのためにゼロリセットや新幹線発想で固定費と原価を圧縮する」・・・次に「社員や幹部が育たないのはトップ(社長)の責任である。枝葉を広げるより根を張ることが大事、時間をかけて地道に社員を育てること、そして人間関係能力の高い幹部を育てること」・・・おおまかにふたつのことを話されました。

移動時間を含めて約半日の研修でした。いただいた資料に改めて目を通すと、さらに深い本質が見えてきます。「企業は人なり」と「どんな環境にも強い」という2点です。社長としてやるべき課題がたくさんあります。まだまだこれからです。

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2007年11月 9日 (金)

黒四(1)始まり

10月28日の日記で書いた「お約束」、小説「黒部の太陽」とDVD「プロジェクトX・黒四」を4編にまとめてみました。どうぞご覧ください。

戦後復興が始まり、昭和20年代後半から世の中は深刻な電力不足にあえいでいました。家庭においては毎晩停電、工場では毎週「電休日」を設けなければならないという始末でした。「電力がどうしても要る」・・・当時関西電力社長であった太田垣士郎氏はついに立ち上がりました。

秘境「黒部峡谷」まさに秘境と呼ぶのにふさわしい・・・随所に人を寄せつけない断崖や急流、滝を造り、日本では他に例を見ないスケールの峡谷です。それゆえ黒部川は25分の1という急勾配、10キロで400メートルという落差です。そしてまれに見る多雨豪雪地帯なので電力生産には理想的な環境です。しかし反面、自然環境も施工条件も極端に厳しかったのです。電源開発計画は大正時代からありましたが、それが極めて危険で困難なためにずっと書庫に眠っていました。

黒部の第四発電所が完成すると、そこだけで25万8千キロワットという大きな発電が可能でした。それは当時動いていた下流の5つの発電所の総発電量に匹敵するものでした。また当時の滋賀県と奈良県の全電力需要に相当しました。さらに黒部川水系のトータルは、当時の関西電力の総発電量の30%にもなった訳です。「黒部しかない」・・・調査も資金もまったく不十分な中で、昭和30年、太田垣氏は不退転の決意で「黒四建設」を断行したのです。

昭和31年6月大手建設会社5社が関西電力本社に招かれました。ダム建設は間組、大町トンネルは熊谷組、骨材製造は鹿島建設、黒部トンネル(ダム~黒四発電所)と水路トンネルは佐藤工業、黒四地下発電所及び付帯の変電所は大成建設、各社それぞれが指名を受けました。最優先課題は「7年の工期」でした。1週間の猶予が与えられましたが、かいもく根拠になる算定基礎すらない状態でした。すべてに危険が付きまといます。しかし1週間後には全社が「無条件で請け負います」と返事をされました。

関西電力側は所長に平井寛一郎氏、ダムと大町トンネル担当は芳賀公介氏、黒部トンネルと地下発電所担当は竹中徳氏が決まりました。こうして世紀の大事業「黒四建設」が一斉に動き出したのです。

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黒四(2)大町トンネル

3,000メートル級の山々が連なる人跡未到の黒部峡谷に史上最大のアーチダムを建設する・・・セメント54万トン、砂利や砂を490万トン、2万トンの鋼材や、各種建設機械を必要とする・・・そのための絶対条件が大町トンネルの開通でした。全工事の完成まで7年、トンネル工事に許された期間は1年でした。映画「黒部の太陽」の舞台になった工事です。

当時、トンネル掘削における最高記録は全断面掘削工法で日進7.3メートルでした。それを持っていたのが熊谷組の大塚本夫氏と下請けの笹島信義氏でした。偶然にも笹島氏の生まれは富山県黒部市でした。大町トンネル完成には日進10メートルが必要でした。熊谷組は名誉にかけてこれに取り組みました。

昭和31年8月1日、いよいよトンネル工事がスタートしました。現場はどれだけ掘り進んでいっても岩質が良くなりません。岩石が良質であれば掘り貫いていくだけですが、ここでは鉄や木でつっかえ棒を施して進む必要がありました。作業は1日3交替、24時間操業で行われました。そして32年2月には日進11.34メートルという記録も打ち立てました。

掘削開始から9ヶ月目の4月27日・・・坑口から1,781メートル進んだ地点で「破砕帯」にぶつかりました。破砕帯とは軟弱な花崗岩が多量の水を含んでいてボロボロと崩れる部分のことです。大きな山鳴りと共に正面の岩壁が崩れ、水が噴出し、鉄のつっかえ棒が次々と押し潰されていきました。雪解け水の温度は摂氏4℃、それらが坑道に降り注ぎました。

それでも彼らは掘り続けました。掘っては崩れ、また掘り返しては崩れ・・・しかし彼らは進みました。5月から9月までの150日間で9.7メートル、一日平均6センチ余り・・・笹島以下現場作業員たちの不屈の戦いの記録です。笹島氏の後の言葉です。「お金や損得の問題ではない・・・誰もできないことだからこそ、俺たちがやらなければならなかった・・・」と。

噴出す水をなんとか減らすために、パイロットトンネル(迂回路)を何本も掘りました。破砕帯に何本もの大型ボーリング突っ込み水を押し出しました。当時の水の量はどれくらいかというと、トンネルの中に掘られていた幅1メートル、深さ2メートルの排水溝・・・湧き水はその溝をあふれながら激しく流れていたそうです。

途中太田垣社長も、水が噴出す崩れそうなトンネル先端まで視察しました。まわりの反対を押し切って「私が命令した仕事だ!そこでみんなが頑張っているんだ!」と危険な場所を進みました。このことは作業に関わるスタッフ全員を、どれだけ勇気づけたかわかりません。

9月下旬に最高の毎秒660リッターに達した湧き水が、10月に入って400リッターになり、11月下旬には200リッターと減っていきました。10月からは抜掘式工法(トンネルの周囲を少しずつ掘り、鉄材などで周囲を固め、次に中の土を掘り出す)や、ハイドロック工法(特殊な薬液を軟弱な地盤に注入し、周囲を固くしてから掘っていく)などを駆使して進めました。

こうして10月には26.1メートル、11月には24.6メートル進み、12月2日、目の前に一枚岩盤が現れました。ついに困難を極めた大破砕帯を抜けたのでした。坑口から1,863メートル地点です。82メートルの破砕帯を抜けるのに7ヶ月以上もの月日と、当時のお金で8億円という巨費が費やされました。

その後は全断面掘削に移って日進8メートルを超えるスピードで飛ばしました。年を越してからはいっそう順調に進み2月には日進20メートルを超える記録も打ち立てるほどに進みました。間組が黒部方面から迎え掘りをしていました。ほとんどが人力だけでしたが923メートルまで掘り抜いていました。

昭和33年2月25日午後7時40分、困難に困難を極めた大町トンネルが、この日ついに貫通しました。そして5月21日、全長5.8キロメートルの大町トンネルがいよいよ全面開通したのです。スタートから1年9日ヶ月目のことでした。

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黒四(3)巨大アーチダム

間組は大型土木機械を駆使して、丸山ダム・佐久間ダムなど次々と完成し、ダム構築に新時代を開いてきました。その功績を見込まれて、難関の黒四ダムの指名を受けました。責任者は中村精(くわし)氏、「どんな仕事も食らい付いたらやり遂げる・・・マムシの異名を持った男」でした。

完成まで7年、絶対に遅れは許されない・・・ダム工事もトンネル着工と時を同じくして、作業員たちが立山を越えて準備工事に入りました。トンネル貫通が少しでも早くなるようにと、満足でない器材で黒部側から岩盤を掘りました。また少しでも工事を早く進めれるようにと、ブルドーザーを立山超えで現地に入れたほどでした。仮説宿舎で2度の冬を越しました。

そしていよいよ待ちわびた「大町トンネル」が開通しました。機械や資材がどんどん運ばれてきました。ダムの本格着工に全員が意気込みました。高さ186メートル、長さ492メートル、2億トンの水を溜める史上最大の巨大アーチダムです。しかし残された工期は5年でした。その間に黒部川を堰き止め、未開の山肌を切り崩し、日本一のダムを造らなければならない・・・中村氏は大胆な作戦に出ました。

「深い山肌を一気に吹き飛ばす!」火薬の総量80トンの空前の大発破でした。6月20日、関西電力の太田垣社長も見守る中、発破は大成功・・・予定通り山肌の土を吹き飛ばしました。続いて優秀なブルドーザー部隊がどんどん土を削り去って行きました。幾度とない雪崩や落石・・・彼らはへこたれずに頑張り続けました。さらに34年9月には、伊勢湾台風が現場を襲いました。黒部川は激流となり、堰き止め用の防波堤を押し流し、川べりの宿舎までもを流し去ってしまいました。

「もうこれ以上遅れることは許されない」・・・工事のスピードは400万トンのコンクリートをいかに早く打設するかにかかっていました。10月に凄腕のクレーンオペレーター、安藤忠義氏が現れました。それまでは4分半かかっていたものを彼は3分半でこなしました。それでも中村氏は許可しませんでした。「まだ遅い。3分以内で運転しろ!」と。それに応えて安藤氏もどんどん早くなっていきました。まだまだ工事のスピードを上げなければならないということで、それまでの1.5倍の大きさのバケットが現場に持ち込まれました。「これまで通りの3分だ!」・・・安藤氏は毎日12時間、必死でレバーを握って頑張りました。

コンクリートの打設量、1日8,653立方メートルという新記録が打ち立てられました。こうしてダムは加速度を上げてどんどん進んでいきました。昭和35年11月、ひとつ目の発電機がウナリをあげて動き出しました。15万4千キロワットの発電が開始され、いよいよ電気が関西へと送られたのです。そして昭和37年8月、この日から最後の発電機が動き出し23万4千キロワットの発電が行われました。それから10ヶ月~昭和38年6月5日、黒四建設のすべてが完成し、竣工式が執り行われるに至りました。

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黒四(4)終わりに

時を同じくして、断崖と急流だけの秘境・黒部峡谷で、大成建設は深さが200メートルにも及ぶ地下発電所を、佐藤工業は作業トンネルと水路トンネル、それぞれ10キロメートルの工事にかかりました。

作業員を大勢集めても、現場を見て2割の人は逃げて帰るという状況でした。1年の3分の1は雪に覆われ、気温は氷点下20℃にもなる、雪崩が襲ってくる・・・そんな中でも一時も作業は止められない・・・それほど厳しい環境でした。さらに地下発電所の掘削工事は地熱帯にぶつかりました。岩盤の温度は摂氏100℃、皆が熱中症で倒れていく・・・それでも仲間同士、水をかけ合いながら掘削を続けました。そうして電気が予定通り関西へと送られたのです。

実際に「黒部」を見て、また資料を読んで、建設業の偉大な意義を再認識しました。偶然にも先日、「学生時代に『黒部の太陽』を観て土木工事に憧れ、熊谷組に入社しトンネル工事に携わってきた」という方にお会いしました。現在はあまり元気がない建設業界ですが、その中で生きるひとりとして、今一度大いなる誇りをもてる業界になってほしい・・・そんな思いでこれを書いてきました(恥ずかしながらも・・・)。

黒四建設における作業延人数は1,000万人と言われます。そこから想定しますと、この「世紀の大事業」に従事された人数は、おそらく1万人近い数になるのでしょうか。その方々全員が、同じ目標に向かい、強い使命感に燃えて、すさまじい闘志で頑張り抜いた!・・・だからこそ期日通り完成を見て、しいては「そのおかげで今日の日本があるのだ」と感じさせられました。不運にも尊い命を落とされた171名の殉職者の方々を含めて、私たちの大先輩に心から感謝したいと思います。

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2007年11月 1日 (木)

建設業ネットワーク

私は若い頃から、大阪の「日本創造教育研究所」というところで、能力開発や会社経営などを勉強をしてきました。この度そこが「建設業」に携わる会社を集めた全国ネットワークを作ってくれました。そしてまず昨日、西日本だけで100社余りの企業が大阪に集まり、第一回の勉強会が開かれました。

近年では建設業が不況業種のNO1と言われます。談合体質、業界の都合、どんぶり勘定、耐震偽造などイメージも大変悪く、あらゆる方向で建設業を取り巻く環境が一気に厳しくなっています。全国どこの建設会社も生き残りをかけて一生懸命です。

頑張っている者同士が知識や情報を共有し、共に学び共に成長し、さらには建設業界全体のレベル向上につなげていく・・・そんなネットワークであります。とても喜ばしいことです。当社もそこで大いに勉強し、当社の良いところは発信していき、ぜひとも社員が誇れる業界にしたい・・・そんな希望をもって金沢に帰りました。

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2007年10月28日 (日)

立山黒部アルペンルート

今月の中旬、生まれて初めて「立山黒部アルペンルート」に行きました。小学校のとき映画「黒部の太陽」を観て、20代で宇奈月のトロッコ電車に乗り、30代になって立山登山をしました。途中の一ノ越から眼下に「黒部ダム」を見下ろしました。そして50歳になった今、初めて関電トンネルを抜けて、黒部ダムの上を歩きました。なんともいえない感動を覚えました。

長野県大町の扇沢(標高1433m)からトロリーバスが関電トンネル(6.1km)を走ります。難関を極めた「大破砕帯」(80メートル)の部分は照明の色を変えてありました。私が生まれる前年(昭和31年)に着工し、1年10ヶ月をかけてようやく完成した偉大なトンネル・・・バスはたったの16分で走りぬけました。バスを降りたところの売店で、小説「黒部の太陽」(木本正次著)、工事記録の付いたアルペンルート・パンフレット、そしてNHKプロジェクトXの番組DVD「シリーズ黒四ダム」を買い求めました。

売店を抜けると目の前に「黒部ダム」(標高1470m)が現れました。「でかい!」、そして「こんな険しいところに・・・」というのが第一印象でした。高さ186メートル(50階建てビルよりも高い)、長さ492メートル、立山連峰と後立山連峰に挟まれた大渓谷・・・自分が保育園に通っている頃に、よくこんなにばかでかいダムを創ったものだ・・・と感心させられました。

黒部ダムからケーブルカーに乗り換え「黒部平」(標高1828m)に着きました。紅葉真っ盛りです。あいにく霧のため、壮大な北アルプスの絶景は見れませんでした。そこから立山ロープウェイに乗り換え次の大観峰へ。1.7kmもの距離を、支柱を使わずワイヤーだけで吊った、珍しいワンスパンロープウェイです。「大観峰」(標高2316m)に到着すると、そこは雨が降っていました。視界がきわめて悪くとても残念な想いでした。

そこから立山トンネル(3.6km)をトロリーバスで抜けると立山の室堂です。立山連峰・雄山(3003m)の真下を貫くトンネル、厳しい気象条件と数ヶ所に及ぶ断層破砕帯、その難関を3年半の歳月をかけて、昭和44年に完成したそうです。標高2450mの室堂に着くとそこは一面の雪景色・・・こんなに早い初雪も生まれて初めての経験でした。

買ってきた小説は読み終わりました。DVDも観ました。資料にもすべて目を通しました。「たくさんの男たちが命を賭けて挑んだ壮絶な大事業!」・・・次には、そのことを書きたいと思います。

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2007年8月18日 (土)

外断熱マンションが金沢に完成

金沢で第一号となる本格的な外断熱マンションがこの度完成し、昨日その現地視察に行ってきました。東京や大阪で外断熱マンションを手がける会社が、金沢で初めてつくられました。工事の途中から数えると、視察はこれで3回目です。1回目はコンクリートの躯体を組み立て中、2回目はコンクリートが完了し仕上げ工事に取り掛かったところ、そして今回の完成です。

一度目から私もプロとしての目で観てきましたが、外断熱として十分に気を配った造り方をされていました。そもそも外断熱工法には簡単にはいかない部分が出てきます。その辺りも徹底して断熱材を施してあることにとても感心しました。今は夏真っ盛りですから、コンクリートに冷気をしっかりと蓄えられていました。

現在200組くらいのお客様がお越しになられているそうです。金沢の人たちは外断熱に馴染んでなかったため、最初の頃は「外断熱とはいったいどんなものなのか?」というところから始まったそうです。そして半年以上経った今は、お客様がその仕組みや性能をよく理解されてきているとのことでした。「これから金沢で外断熱が相当注目されていくでしょう!」という嬉しい言葉も聞きました。

鉄筋コンクリート外断熱では、まずマンションが完成しました。そしていよいよ今月末に、当社のつくる「外断熱の一戸建」(RCZ・VOX)が完成します。あまりエネルギーを使わなくても、夏は涼しく冬は暖かい・・・空気がとてもやわらかいので、人にとても優しい家です。ぜひ当社の見学会にもお越しいただいて、そのことを「体感」してほしいと思います。

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2007年6月18日 (月)

無暖房建築

1週間前、長野県にて「鉄筋コンクリート外断熱建築」の視察をしてきました。松本~塩尻~茅野~諏訪を廻りました。老人福祉施設、分譲マンション、県営住宅、クアハウス・・・など様々な施設がありました。

その中で圧巻は茅野市にある「無暖房の老健施設」でした。鉄筋コンクリート外断熱構造2階建てです。標高が高い地域なので冬は相当冷え込みます。建物の周りを厚さ300ミリの断熱材で囲んであり、窓は木製で3重ガラスを使用していました。事務長さんのお話では、真冬でも暖房をしていないため電気料金がとても安く、長い目でみると本当に経済的な建物である・・・ということでした。その日は天候が悪く肌寒かったのですが、室内は何とも言えず「やわらかい空気」に包まれていました。

長野県は冬の気候が厳しいせいか、北陸に比べて「外断熱構造」の普及が進んでいるようです。また新築だけでなく改修工事もありました。諏訪市にある県営住宅は、古い建物10棟すべてに外断熱の改修工事がなされていました。

美しい諏訪湖を通ったときに、地球温暖化のせいで有名な「諏訪湖の御神渡り」(湖一面に氷が張ってさらに冷え込むと轟音と共に氷が裂けてせり上がる。諏訪大社の上社の男神が下社の女神のところへ通う恋の路との伝説がある・・・)が近年は見られないそうです。省エネ建築の普及を急きたてられるお話でした。

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台湾紀行

先月「小松空港・台湾定期便」に向けて、石川県が支援したチャーター機での「台湾ツアー」が行われました。懇意にしている議員さんから同行を頼まれ、15年ぶりに台湾に行ってきました。5月下旬だったのですが向こうはもう真夏の暑さでした。

まず首都台北での1日です。午前中は忠烈祠~中正記念堂を見学し、総統府において台湾政府の大臣の講演を聞きました。その後外務省の方々との昼食会をして、午後は故宮博物院見学、そして夜は李登輝前総統を囲む会(残念ながら都合でご本人とは会えませんでしたが)の方々との懇談会でした。太平洋戦争後の蒋介石の時代から李登輝総統時代、そして現在の陳総統時代までを垣間見ることができ、とても有意義な一日でした。

翌日は台南に向かいました。まず台南県知事、県議会の方々との昼食会がありました。午後は日本人・八田與一氏(石川県出身)が創った「烏山頭ダム」と「灌漑用水」を見学し、氏の大いなる功績を偲びました。それは大正10年から始まり、10年間に及ぶ当時東洋一と言われた大事業でした。60万人の農民を救った「偉大な日本人」として、今もなお多くの台湾人から愛されているそうです。

日清戦争の後太平洋戦争が終わるまで、台湾は日本の植民地でした。当然のことながら、当時の日本政府は台湾の人々に日本語を教え、日本人教育をしてきました。今回の旅行では当時学生として育った方々(とても日本語が上手です)と多くの出会いがありました。皆さんが「日本の精神」を大いに称えてくださり、日本との更なる友好を真剣に語っておられました。ひとりの日本人として、彼らに感謝すると同時に、より真摯にアジア外交を勉強する良ききっかけとなりました。

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2006年11月29日 (水)

なんばグランド花月

11月26日の日曜日、かの有名な「なんばグランド花月」へ初めて行ってきました。劇場は思ってたより小さかったです。漫才と落語で約1時間~吉本新喜劇で約1時間・・・これだけ大笑いをしたのは何十年ぶりでしょうか?漫才が「中田カフス・ボタン」や「西川のりお・上方よしお」など4組、落語は「桂文珍」でした。新喜劇は「辻本茂男」ら総勢27名の大作?でした。

漫才や喜劇を生(なま)で観たのは生まれて初めてのことです。感想は「感動!」の一言です。席は2階の後ろの方、タレントの顔もあまりよく見えない・・・そのような状態でさえ、テレビで見る何十倍の味わいがありました。居間と劇場の空気(ムード)の違い、出演者と観客の一体感、そういったところでしょうか。最初から最後まで笑いっぱなしで、涙も相当出ました・・(^^ゞ

今回強く感じたことがふたつあります。ひとつはステージに立つ人の「心構え」です。観る人を惹き付ける話術と動作、間の取り方の絶妙なタイミング・・・さすがプロですね!そしてもうひとつは「笑い」の大切さです。まわりに気兼ねすることなく思いっきり笑うことが、これほど爽快なものか!・・・を知りました。これからの人生、できるだけたくさん「大笑い」したいと思います。

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2006年10月31日 (火)

ニュージーランド紀行

初めてのニュージーランドに行ってきました。当社の社員と一緒に6名でツアーに参加しました。季節は日本で言えば5月下旬・・・暑いかな?と思って行きましたが結構寒かったです。持っていった半袖は着ることなく帰ってきました。ガイドさんも「今年は何故か寒いんです~!」・・・と。今回は北島だけのツァーです。ニュージーランド最大の都市「オークランド」とマオリ族と温泉の街「ロトルア」に行きました。

「オークランド」は人口100万人の都市です。それでも混雑した感じではなく、公園の中にビルや家が建っているという雰囲気でした。当時上陸したイギリス人は、しっかりとした都市計画の下で、街づくりをしていったのでしょう。清潔で道も広く電柱もなく、いたるところ街路樹があり芝生を植えてありました。住宅は木造からコンクリート住宅まで様々でしたが、かなりデザインに凝り、お金がかかっている・・・という印象を受けました。評判どおり「裕福な国」といったイメージでした。

オークランドからバスで半日ほど行ったところに「ロトルア」があります。森と湖に囲まれた綺麗な小都市です。羊のショーや噴泉(温泉)、マオリ族の文化に触れました。大好きな温泉へはもちろん行きました。露天風呂に浸かりながら眺めた「南十字星」は格別でした。それから、話題の動物「キウイ」が可愛かったことと、鍾乳洞で見た「土ボタル」が美しかったことも印象的でした。

ニュージーランドでは、自然と同じく国民気質もおおらかでゆっくりしています。それが示すとおり、全員がゆったりと流れる4日間を味わってきました。私自身も多少でもおおらかになっていればいいのですが・・・(^^ゞ

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2006年8月27日 (日)

風の盆

25日の金曜日、富山県八尾の「風の盆」を生まれて初めて見ました。15年ほど前、東京の方から「風の盆のとりこになった。毎年行っている。黒田君も近いところだからぜひ行くといい」と言われてましたが、混んで大変だから・・・という理由でこれまで行くことはありませんでした。たかだか5千人の町に1日に7万人、3日間で21万人が一気に集まるそうです。今回そのお世話をしてくださる方がいて「9月1日からの3日間はどうしようもなく混雑するけれど、その前に前夜祭が開催されて、そこでも風の盆を味わえるから・・・」ということで、ついに行けることになった訳です。

当日の夕方、駐車場でバスを降り、30分ほど八尾の町並みを歩き、曳山会館に入りました。最初の30分は「風の盆」の映画上映、次の30分はBGMに合わせての踊りの説明、最後の30分に楽器と唄を入れての踊りのショーを見ました。とても大きな感動でした!唄も演奏もひとつの曲の繰り返し、踊りも同じことの繰り返しです。なのにどうしてこれほどまでに感動するのか・・・自分でも不思議でした。三味線・胡弓・太鼓の音が流れてくる・・・それからなんとも味のある「おわら節」が聞こえてくる・・・はっぴを着て踊る男性がとてもカッコいい・・・浴衣を着て踊る女性が大変美しい・・・かぶっている編笠が見えない表情を想像させる・・・とてもさわやかな興奮の中で会館を出て、今夜の担当の町に向かいました。

前夜祭は各町内が持ち回りで11日間行われます。夜9時から11時まで踊りが見れます。それほどでもない・・・と聞いていましたが凄い人です。人混みの中道路脇に立ってずっと待っていると、遠くのほうに「踊り流し」が見えてきました。先頭は男性集団、次はその町の小学生たち、その後ろから女性集団が前を通り過ぎて行きました。回りが騒々しいので楽器や唄はよく聞こえませんでした。それでもステージで見るよりも一段と、彼ら彼女たちの息吹が伝わってきました。さらなる興奮を覚えました。

一般の「盆踊り」との違い・・・私の印象では「真摯な踊り・・」と言えるでしょうか?それゆえに気品と美しさがある・・・有名になる前、小さな町に、秋風が吹く頃、夜の静けさの中に、どこからともなく楽器と唄が聞こえてくる・・・ほの暗い中に踊り流しが現れる・・・きっとなんとも言えない「妖しげな美しさ」であったことでしょう・・・元禄時代の昔から「風災害の無事を願い豊年を祈る」意味で始まった「風の盆」、庶民の生活からにじみ出た本物の文化、「日本が誇る素晴らしい文化のひとつ・・」と強く感じながら帰途につきました。

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2006年5月28日 (日)

ユーミーマンション全国大会

さる23日「ユーミーマンションFC全国大会」に参加してきました。今回はFC結成20周年記念大会ということで、東京・品川で盛大に開催されました。当社が福井県で事業をスタートしてからまる9年、今年は全国加盟社約80社中4位入賞という素晴らしい成績でした。昨年1年間の事業部スタッフ全員の頑張りの賜物です。壇上にて表彰を受ける喜びは本当に社長冥利に尽きます。

さて、当社は来年でユーミー事業の10年の節目を迎えます。それまでに「マンション数100棟」を目標に一丸となって頑張っています。これまでの9年を振り返るといろいろなことがありました。FC加盟~建設協力会設立~JAグループ提携~オーナー会設立~クロダ祭りスタート~敦賀営業所開設~新社屋完成~賃貸管理部設立・・・全員のチームワークで体制や内容がかなり充実して参りました。

そして来年から始まる新しい10年、当社の事業はどのように成長していくべきか・・とても大事な課題です。入居者様、マンションオーナー様、JA様、協力会様、そして福井県の各地域に対して、当社が新たに何ができるのか・・・今回の全国大会はそのことを強く感じさせられる大会でした。

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