百田尚樹氏・講演会
昨日、明治安田生命金沢支社開設115周年の懇話会で、百田尚樹氏の講演会が開かれました。「永遠の0」、「海賊とよばれた男」、「夢を売る男」と順番に読み終え、一度はお話を聴きたいと思っていました。地元金沢で待望の講演会に参加できたことは、非常にラッキーでした。
百田氏は7年前から小説を書き始め、年に2冊ほどのペースで書いてこられました。ところが3年前にスランプが訪れました。「東日本大震災」が起こったことが原因でした。世の中のあまりの変化に、「こんなこと書いていいのだろうか?」と考えるたびに手が止まる・・・そんな繰り返しの中で、どうしても文章が書けなくなったとのことでした。
そんなある日、テレビの仲間から「日章丸事件のことを知ってますか?」と訊かれ、そのことを知らなかった百田氏は、その事件に強く興味を惹かれました。そこで出版社の親友に相談したところ、数日してダンボール箱いっぱいの資料を届けてくれました。その中身を一つひとつ読んでいくうちに、止めどなく震えがきたそうです。
百田氏は次のように話されました。「バブル経済が崩壊して20年・・・暗い日本に円高不況とリーマンショックが訪れ、さらに重い空気が流れていました。そのとき追い打ちをかけるように、突然“大震災”が起こりました。“そうだ!日本全体が元気をなくしている今だからこそ、偉大なる出光佐三氏(出光創業者)のことを書いて、日本人の誇りを取り戻してほしい!”と思い、物語を書き始めた訳です」
氏は本の内容を語られるとき何度も声を詰まらせました。それだけ氏の念いが詰まった小説であることが伝わりました。「どうしてこの小説を書くのか?この小説で何を伝えたいのか?」・・・「作者の念いがどれだけ強いか?」・・・「それで小説の価値が決まる!」ということを実感しました。
講演の最後に話された言葉を紹介したいと思います。
「私の父は大正13年生まれです。大正時代の人々は戦争の時代に生まれ、育ち、戦争で戦い、亡くなった人、生きて帰った人がいました。終戦当時の日本をみて、アメリカ人は“日本の復活には50年はかかる”と言っていたそうです。終戦から7年はまさに占領国でした。しかし日本人は頑張りました。占領が解けてから10年そこそこで、東京オリンピックが開催された訳です。東京から大阪まで当時世界最高速の新幹線が走ったんです。その4年後にGNPが世界第2位になるなんて、いったい誰が想像したでしょうか?これを奇跡と呼ばずして他にどんなことがあるでしょうか?その中心になったのが大正生まれの人たちだったんです。本当に素晴らしい世代の人たちだと思います。日本の未来は暗いと言うけれど、その時に比べたら今は天国です。日本人としての誇りを持って、どうか頑張ってください!」
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