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2013年7月 4日 (木)

「零戦」その誕生と栄光の記録

先週書店を覗いたところ、文庫本コーナーに「零戦」という文字を見つけました。それほど大きな字ではなかったのですが、なぜか吸い寄せられたような感じでした。本を読んでみると、なんと設計者の堀越二郎氏の書かれた本でした。日本が世界に誇る零戦・・・以前からその開発の経緯を知りたかったので、すぐに買い求め、今回は3日間で読み終えました。

堀越氏は飛行機の設計技術者ですが、まるでプロの小説家を思わせる文章タッチです。専門的なことを素人の私にもわかるように書いてあります。またいたるところで興味を惹く「ドキュメンタリー小説」になっています。零戦の開発がどのように始まり、その後開戦へと進み、やがて終戦を迎える・・・その時々の零戦に関わる内容を、詳しく知ることができました。

明治からの富国強兵政策の中、日本の軍備は進んでいきましたが、航空機技術においてはまだまだ遅れをとっていました。資源が乏しい日本にとって、資源を求めて戦地を広げていくことは、やむをえないことでした。さらに島国だったため、中国大陸や太平洋で互角に戦う上で、長い航続距離持つ戦闘機が必要だったのです。そこで当時の海軍は、中島飛行機と三菱重工業に難しい要求書を提出しました。

要求書には速い飛行速度、長い航続距離、小回りの利く空戦性能、上昇力、二十ミリ機銃の装備など、無理難題がいくつも書かれていました。三菱の堀越氏以下30名の設計スタッフたちは、一丸となって不可能への挑戦を続けました。そして2年間の苦闘の末、ついに零式艦上戦闘機「零戦」が誕生しました。開戦当初、零戦はアメリカ軍、イギリス軍、中国軍から恐れられました。それだけ零戦飛行隊が行くところ「敵なし」だったのです。

本の「まえがき」には次のように書いてあります。「世界の技術の潮流に乗ることに終始せず、世界の中の日本の国情をよく考えて、独特の考え方や哲学の元に設計された、日本人の血が通った飛行機・・・それが零戦だった」と。それまでの飛行機技術の常識にとらわれない、例えば柔道の「柔よく剛を制す」などの思想が根底にありました。当時の日本には大馬力のエンジンがなかった、そのため飛行機を軽くしなければならず、主翼の形や幅、胴体の長さなど、絶妙なバランスのとれた飛行機が生まれました。今でも零戦のスタイルの美しさには定評があります。

満たされない条件の中にあっても、組織全体がひとつの使命感に立ったとき、組織はとてつもない力を発揮します。この物語は、日本人の特性と日本的経営の素晴らしさ、そして忍耐強く継続し続けることの大切さを教えてくれました。

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