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2013年5月21日 (火)

初見学「広島原爆ドーム~平和記念資料館」

先日初めて「広島の原爆ドーム&平和記念資料館」を見学しました。この年になってようやく訪れたことに、多少恥ずかしい思いがしました。

路面電車の「原爆ドーム前」で降りると、目の前に「平和記念公園」があります。そこに入ると、すぐに「原爆ドーム」が現れました。そのときの印象は、「小さい・・・」ということでした。後ほどその意味を知ることになります。平和記念資料館で当時の原爆のすさまじさを見たからです。つまり「それだけしか建物が残らなかった」という訳です。

元安川に沿って公園を歩いていきました。静かでした。橋を渡ると「原爆の子の像」が見え、そこを左に曲がると「平和の灯」の炎が灯り、「原爆死没者慰霊碑」へと続きました。慰霊碑の前に立つと、正面に炎が見え、その奥に原爆ドームが映りました。なんとも悲しい姿に見えたのでした。

平和記念資料館で驚いたことが二つあります。ひとつは入場料が大人50円、学生・子供が30円という安さ、もうひとつは、外国人の見学者が非常に多かったことです。「日本人より多いのでは?」と思うぐらいでした。アメリカ人ばかりではないと思いますが、戦勝国である彼らは、はたして「広島の悪夢」をどのように感じたのでしょうか?

資料館には、原爆投下前と投下後の航空写真とパノラマ模型がありました。それを見ると状況がよく理解できます。地上600メートルの上空で爆発!・・・その1秒後に3千度~4千度の熱線、19トン(/1㎡)の爆風、そして放射能が一気に地上を襲います。中心から2キロメートル四方がその状態です。ほんの一部の鉄筋コンクリート建築を残し、地上のものすべてが一瞬のうちに飛ばされ、燃やされ、破壊されました。そのあと「大火傷を負った多くの人々が水を求めて動き回っていた・・・」なんて信じられません。

当時アメリカは原子爆弾を広島に落とし、そのわずか3日後に長崎にも落としました。広島の「1発の爆弾」でその年14万人が亡くなり、その後も多くの人々が後遺症で苦しみ死んでいきました。「戦争の早期解決のため」という理由はあったにせよ、「どうして現実に落としたのか?」・・・その疑問が今も私の心に残っています。

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