松井秀喜氏に学ぶ
長男から「松井秀喜ベースボールミュージアムへ連れて行ってほしい」と頼まれ、先日初めて行ってきました。
ミュージアムには、彼が生まれてから今日までのすべてが紹介されています。写真、ユニホーム、ボール、トロフィー、賞状などの陳列の他に、映像が何本か流れています。有名な「努力の天才」という言葉も、ここでよく理解できました。小学校時代は野球以外にも、柔道やすもうで優勝したことも知りました。それほどのファンでない私も、2時間近く飽きることはなかったです。
その中で最も印象的だったのは、やはり伝説の「見送られた20球」でした。1992年8月16日の夏の甲子園・対明徳義塾戦です。
実は中学時代に、まずこんなことがあったそうです。「ある大会で初回から明らかなボール球を4球続けられた。秀喜はピッチャーをにらみつけたまま、バットを放り投げて1塁へ歩いた。すると味方のコーチが出てきて彼を殴った。試合後コーチは次のように言って聞かせた。『ひとつは、大事な野球道具を粗末にする者に野球をやる資格がない。もうひとつは、敬遠はルールで許されている立派な作戦だ。相手をにらみ、ふてくされた態度のお前の方がよほどマナー違反だ』と。秀喜は深く反省した」
さて明徳義塾戦です。5打席はすべて敬遠。最後の打席となった9回表、星稜は2-3で負けている。二死三塁の場面、最後もやはり敬遠でした。どんなに悔しかったことでしょう。見ていた私も憤ったものです。しかしそのとき彼は表情を変えずに真面目に1塁に立ちました。そして結果は次の打者で試合終了。星稜は負けましたが、山下監督は「松井はバットをもって、最後の1球まですべて真剣に構えた」と彼を讃えました。
そのときのことを作詞家の故阿久悠氏が詩にされ、ミュージアムに飾られています。ここに紹介させていただきます。
甲子園の詩’92 『敗れざる君たちへ』 阿久 悠
『あなたはたぶん 怨みごとを云ったり 作戦を誹謗したりはしないだろう 無念さはおそらく 青春期の総決算のような形で 猛々しく噴出を待っているだろうが あなたはそれを制御し 次なる人生への勲章にし エネルギーにしてしまうに違いない
感情を小出しに爆発させ その時その時の微調整をくり返し 如何にも活力あり気に振舞う人とは あなたはスケールが違う ドンと受けとめて いつかやがて まるでこの日の不運が 最大の幸福であったかのように 変えてしまうことだろう
バッターボックスの中で 微動だにしなかった態度を称える ブーイングに便乗しなかった克己心を 何よりも立派だと賞める 照れたりくさったり呆れたり 同情を求めるしぐさを 欠片も見せなかったことを賛美する 一振りも出来ないまま 一塁ベースに立ち 瞑想していた男の顔を 惚れ惚れと見る
あなたの夏は いま無念の夏かもしれないが 流れの中で自分を見失わない 堂々の人間を証明してみせた 圧倒的に 輝く夏だったのだ』
阿久氏のなんと美しい詩でしょうか?感動します!また18歳の少年の、なんと美しい姿でしょうか?涙が出ます!素晴らしい一日になりました。どうもありがとうございます。
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コメント
コメントありがとうございます。俊さんですね。残念ながら私は順さんも存じ上げないのですが・・・
阿久悠さんの詩、素適でしょう?松井の写真の横に飾られた現物は、さらに訴えかけてくれますよ。ぜひミュージアムに行かれてください。映像や歴史など、知らなかったことが必ずあると思いますので・・・
投稿: 黒田です | 2010年2月17日 (水) 17時09分
お初です!
自分は、順ちゃんの息子の俊ちゃんです(笑)
松井秀樹のミュージアムですが...。
自分は行ったことが無いので羨ましいです!
阿久 悠さんの詩ですが、自分もとても感動しました!
今度は自分の目で見に行こうと思います!!
古い記事に書き込み失礼しましたm(_ _)m
投稿: 俊ちゃん | 2010年2月17日 (水) 15時15分