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2010年2月25日 (木)

ピートグレイ物語(1)

昨夜、日創研・石川経営研究会の勉強会がありました。「人を躍動させるリーダシップ」と題して、組織におけるビジョンの達成手法などを学びました。講師の大野氏は、最後にピートグレイさんのお話をされました。とても大きな感動を受けました。ここに紹介させていただきます。

 ~『ピートグレイ物語』~

ピートグレイは小さい頃から野球が大好きでした。ある日父親とヤンキースタジアムへ大リーグの試合を見に行き、そこで彼は、将来ヤンキースタジアムに出場することを夢見ます。

(私も知らなかったのですが、大リーグの世界ってすごいんですね。下から「Dリーグ」「Cリーグ」「Bリーグ」「ルーキーリーグ」「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」、そしてやっと「大リーグ」なんです)

彼の人生は、大リーグを目指した「挫折との戦い」、「苦悩の日々の連続」でした。

6才の時ある事故に遭い、野球を断念しようと思いました。しかしその時お父さんが彼にかけた言葉は「あきらめるな!やればできる!」でした。ピートはお父さんの言葉を胸に信じ、血のにじむような努力を始めます。

草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえません。しかし彼は不平を言わず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習をしました。そのかたわら、野球学校へも通いながら、いろんな球団の入団テストを受けて回りました。しかし入団テストにはことごとく堕ちてしまいます。しかし彼はあきらめませんでした。そして雨の日も風の日も、黙々と練習を続けました。

彼のその姿を見て、心を打たれた学校の先生がいました。先生は全米のDリーグの監督に電話をかけました。「うちにピートという熱いやつがいる。見に来てくれないか?お願いします」と。その電話に触発されて、Dリーグの監督たちが集まってきました。さて、ピートの晴れ舞台です。そこで彼は全力でプレーを見せました。しかし結果は、どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした。

それでも彼はめげずに練習を続けました。一途に努力する彼を、幸運の女神は見放しませんでした。24才の時、ニューヨークのセミプロ球団「ブッシュウイックス」から声がかかりました。彼は「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」と喜んで入団しました。そして、彼はそこで素晴らしい成績を残しました。

こういう活躍をすると、またそれを見てる人がいるものです。マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が彼を大抜擢します。ピートは期待に応え、打率3割8分という素晴らしい成績を残しました。相次ぐ大抜擢にも、おごること無く努力を続けるピートに、次々と幸運の扉が開かれました。1943年には、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格します。そしてここでチームのMVPを獲得するのです。(打率333、盗塁68) 

そしてついに、彼の夢がかなう日がやってきました。1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」が採用を決定したのです。さて、ヤンキースタジアム~ピートの初打席です。彼は大きく息きを吸って、バッターボックスに入りました。1球目空振り、2球目空振り、3球目空振り・・・初打席は三振に終わりました。しかしその三振を見てスタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。 

あれ?三振して大拍手なんておかしいですね!・・・実は、球場の観客達は片腕のピートの姿に釘付けになっていたのです。彼の右腕は6才の事故で根元から切断されていました。

大好きな機関車を見に行って、彼の手はその下敷きになりました。泣きじゃくるピート。6才にして片腕を無くしたピートに、父親がかけた言葉・・・それが「あきらめるな!」だっだのです。お父さんは次のように語っています。「あの時もしも彼から、野球という夢まで奪っていたならば、もう彼には何も残らない。『あきらめるな』以外、他に言うことがなかった」と。

その言葉だけを信じ、罵られ、差別を受け、練習にも参加させてもらえない、何回も入団テストに堕ち続けた苦い思い・・・いくつもの逆境を乗り越え、営々と努力し続けたピートの“偉大な三振”に、観客は惜しみない拍手を送ったのです。

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