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2010年2月28日 (日)

都田建設・講演会

浜松市の北の静かな都田町、そこに現在、急成長を遂げている住宅会社があります。社員数34人で年間100棟を超える実績をもつ「都田建設」さんです。

現社長の蓬台氏は次のように語ります。「時代と業界の変化に疑問をもち、100年前も100年後も絶対に変わらないもの・・・それについて深めていきました。結果~『幸せを感じさせてくれる会社づくり』に至りました。“都田建設さんに会えてよかった、都田建設さんで勉強になった”・・・家づくりを通して、お客様が求めていることをずっと追求していってます」と。

その中で生まれてきたことを、【DLoFre’s】(ドロフィーズ)と名づけられました。Dream(夢)×LOVE(愛)×Freedom(自由)・・・お客様の夢、その実現に向かって、まわりの愛を感じ、自由な家づくりをしていただく・・・それが都田建設の大テーマとなっています。それゆえ経営上の数値と並んで、お客様の「涙の感動数」をも高く目指しておられます。

社内外共にすべてがオープン・・・それが会社の強みになっています。お客様には「失敗しない家づくり」「土地さがし」「プランづくり」などの各セミナーにおいて、決算書から業界の本音まですべて伝えています。また社内では、個人の能力に頼らないよう、成功例や失敗例の情報がすべて共有され、それが即、実践教育につながっています。だからすべてのお客様がファンになる訳です。

蓬台社長の終わりの言葉です。「ひとりでどれだけ頑張ってみても無駄なこと。当社スタッフから工事職人まで含め、チーム全員が一丸とならなければ、絶対に成功しません。お客様にいいこと、地域にいいこと・・・そして地球にいいことまで、常に【7つのWin・Win】を考えろと強調してます」と。

現在、彼の著書「サービスはかけ算!」を読んでいます。仕事に対する考え方がさらに伝わります。また紹介したいと思います。

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2010年2月25日 (木)

ピートグレイ物語(1)

昨夜、日創研・石川経営研究会の勉強会がありました。「人を躍動させるリーダシップ」と題して、組織におけるビジョンの達成手法などを学びました。講師の大野氏は、最後にピートグレイさんのお話をされました。とても大きな感動を受けました。ここに紹介させていただきます。

 ~『ピートグレイ物語』~

ピートグレイは小さい頃から野球が大好きでした。ある日父親とヤンキースタジアムへ大リーグの試合を見に行き、そこで彼は、将来ヤンキースタジアムに出場することを夢見ます。

(私も知らなかったのですが、大リーグの世界ってすごいんですね。下から「Dリーグ」「Cリーグ」「Bリーグ」「ルーキーリーグ」「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」、そしてやっと「大リーグ」なんです)

彼の人生は、大リーグを目指した「挫折との戦い」、「苦悩の日々の連続」でした。

6才の時ある事故に遭い、野球を断念しようと思いました。しかしその時お父さんが彼にかけた言葉は「あきらめるな!やればできる!」でした。ピートはお父さんの言葉を胸に信じ、血のにじむような努力を始めます。

草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえません。しかし彼は不平を言わず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習をしました。そのかたわら、野球学校へも通いながら、いろんな球団の入団テストを受けて回りました。しかし入団テストにはことごとく堕ちてしまいます。しかし彼はあきらめませんでした。そして雨の日も風の日も、黙々と練習を続けました。

彼のその姿を見て、心を打たれた学校の先生がいました。先生は全米のDリーグの監督に電話をかけました。「うちにピートという熱いやつがいる。見に来てくれないか?お願いします」と。その電話に触発されて、Dリーグの監督たちが集まってきました。さて、ピートの晴れ舞台です。そこで彼は全力でプレーを見せました。しかし結果は、どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした。

それでも彼はめげずに練習を続けました。一途に努力する彼を、幸運の女神は見放しませんでした。24才の時、ニューヨークのセミプロ球団「ブッシュウイックス」から声がかかりました。彼は「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」と喜んで入団しました。そして、彼はそこで素晴らしい成績を残しました。

こういう活躍をすると、またそれを見てる人がいるものです。マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が彼を大抜擢します。ピートは期待に応え、打率3割8分という素晴らしい成績を残しました。相次ぐ大抜擢にも、おごること無く努力を続けるピートに、次々と幸運の扉が開かれました。1943年には、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格します。そしてここでチームのMVPを獲得するのです。(打率333、盗塁68) 

そしてついに、彼の夢がかなう日がやってきました。1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」が採用を決定したのです。さて、ヤンキースタジアム~ピートの初打席です。彼は大きく息きを吸って、バッターボックスに入りました。1球目空振り、2球目空振り、3球目空振り・・・初打席は三振に終わりました。しかしその三振を見てスタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。 

あれ?三振して大拍手なんておかしいですね!・・・実は、球場の観客達は片腕のピートの姿に釘付けになっていたのです。彼の右腕は6才の事故で根元から切断されていました。

大好きな機関車を見に行って、彼の手はその下敷きになりました。泣きじゃくるピート。6才にして片腕を無くしたピートに、父親がかけた言葉・・・それが「あきらめるな!」だっだのです。お父さんは次のように語っています。「あの時もしも彼から、野球という夢まで奪っていたならば、もう彼には何も残らない。『あきらめるな』以外、他に言うことがなかった」と。

その言葉だけを信じ、罵られ、差別を受け、練習にも参加させてもらえない、何回も入団テストに堕ち続けた苦い思い・・・いくつもの逆境を乗り越え、営々と努力し続けたピートの“偉大な三振”に、観客は惜しみない拍手を送ったのです。

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ピートグレイ物語(2)

「左手だけでどうやって野球をするの?」・・・誰もが不思議に思います。彼は左手一本で球速に負けないよう、「重くて長いバット」を使いました。しかし、そのためにさらに強い左手の筋力を必要とします。ハンデキャップを克服するために、涙ぐましい訓練を続けてそれを身に付けたのです。

打撃にも増して大変だったのは守備でした。フライをとるときには、グローブを胸に押し当て、指と右腕の付け根を使ってグローブをはずし、右脇にかかえると同時に左手でボールをつかんで投球しました。ゴロの場合は、ボールを軽く空中にはね上げ、その間に右肩の付け根に挟んだグローブから左手をはずし、その手で投げ返したのです。

手を深くグローブに入れていたのでは、素早く抜くことができないので、わざわざ指の短いグローブを作って、手は半分しか入れてませんでした。しかも少しでも手の感触を良くし、手の出し入れを滑らかにするために、グローブの中の詰め物はほとんどなく、革だけに等しかったのです。ペチャンコで指の短いピートのグローブには、文字通り、汗と涙と血が染み込んでいました。

ヤンキースタジアムでの初試合の後、彼はインタビューで苦笑いしながら、次のように答えたそうです。「涙でボールが見えなかったよ・・・」と。ユーモアも素敵です!

後年、彼は故郷に帰り少年野球の指導や、障害者の支援をしながら、87才で生涯を閉じます。彼が亡くなる前、我々に残した言葉があります。

「私の子供の頃の夢は『ヤンキースタジアムで野球をする』ことでした。そしてその夢が叶ったことが、人生において最も素晴らしい出来事だったと思います。自分のような、身体に生涯を持つ者にとって、練習こそがすべてでした。でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。

ある時次のように言われました。『両方の腕があっても野球は難しいのに、片腕で野球なんかできるわけがないだろう』と。それでもあきらめず、自分は常に夢に向かって練習してきました。

最後に私の好きな言葉を送ります。【A WINNER NEVER QUITS.】(勝利者は決してあきらめない)」  ピートグレイ

長い物語にお付き合い頂きありがとうございます。「こんなことってあるの!?」・・・やはりあるんですね。私たちがこれまで不可能と思ってきたことも、実はそうでなかったのかもしれません。「あきらめない!」・・・今の経営者にとって、最も必要な「言葉」かもしれません。

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2010年2月18日 (木)

ご親切にありがとう!

今日の夕方、関西のある初めての駅から大阪に向かいました。快速電車に乗るときにちょっと心配になったので、隣に並んでいた若い女性に「この電車で大阪に行けますか?」と尋ねました。彼女は「ちょっと詳しくないので・・・」と申し訳なさそうに言われました。私は「わかりました。すみません」と答えて、そのまま電車に乗りました。

方向は間違っていないし、特に時間に追われている訳でもないので、そのまま電車の座席にいました。すると先程の彼女がそばに近寄ってきて、「今、携帯で調べてみたんですが、□□駅で乗り換えれば大阪に行けますよ」と、丁寧に説明してくれるではありませんか?私は感動のあまり、思わず立ち上がって深々と頭を下げました。

世の中は素適ですね。親切にしていただいたこと、素晴らしい方がおられたことの「ダブル嬉しさ」で、とても幸せな気持ちになりました。○○さん!ありがとうございます!<(_ _)>

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2010年2月17日 (水)

賃貸オーナー懇談会を開催

この度、福井県の当社の賃貸オーナー様をお招きして、初の懇談会を開催しました。ユーミーマンション、メゾネットアパート、マンションリノベーション、アパマンショップ管理など、居住系賃貸事業に関わるすべてのオーナー様にお声掛けしました。

当社が福井県で賃貸提案事業を始めて13年になります。全国的にも賃貸事業が厳しくなっている中、お世話になってきた皆様に私たちがお返しできること・・・それは各方々の事業の成功しかありません。当社がパートナーとなって、オーナー様同士が「共に学び共に努力する」精神で、懇談会を重ねていく・・・それこそが将来の成功につながるカギだと信じています。

懇談会は勉強会と食事会の2部構成としました。1部の勉強会では、最近の賃貸状況、ライバルメーカーの動向、入居者ニーズなどを説明し、最後は成功事例と今後の推奨を、オーナー様の声を混ぜながら、お話させていただきました。2部の食事会では、初めて顔を合わす方々もおられましたが、かなり和気あいあいと話がはずんでいました。

今回は〝初の試み〟ということで、手探りの部分もありましたが、継続こそがすべての力であります。ことに賃貸事業は長々期の事業なのでなおさらです。来年はさらに内容をレベルアップすること、質の高い情報交換の場となることを目指します。そして5年後には、高い価値のあるイベントに育て上げるつもりです。

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2010年2月16日 (火)

目的と目標

日創研のSA研修(基礎コース)を再受講した後、SC研修(変革コース)のアシスタントをして、現在PSV研修(実践コース)のアドバイザーをしています。

そこで「目的と目標の違い」について考えることがありました。字を見ると、目的は的(まと)であり、最終到達点のように思われます。一方、目標は標(しるべ)であり、通過点における道しるべのようです。つまり目的を明確にもつことが第一で、目標はひとつの通過点と言えるのでしょう。なのに、目標が達成できなくなって、大事な目的をも見失ってしまう場合が、少なくないように思うのです。

かくゆう私もそれに近いときがありました。会社の業績が計画通り進まない~半年後は?1年後は?~先が見えない~早く手を打たなければ・・・と、不安や焦りにさいなまれました。そのような状況だったからこそ、もう一度事業の目的や経営の目的に立ち帰りました。そうして経営計画書が出来上がった訳です。

本来、状況は変わっても目的は不変のはずです。女子マラソンのオリンピック金メダリスト、高橋尚子さんの走る目的は、「私は走るのが大好き。だから走ることの楽しさを大勢の人に伝えたい。私が勝つことでマラソンの楽しさを伝えることができる」・・・です。つまり金メダルはひとつの目標でした。彼女は今でも、市民マラソンなどを笑顔で走っています。

4月から始まるTT研修では、人生目的と経営目的を、今一度明確にしてきます。そして今年中に「不変の経営理念」を創り上げていく予定です。

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2010年2月 3日 (水)

松井秀喜氏に学ぶ

長男から「松井秀喜ベースボールミュージアムへ連れて行ってほしい」と頼まれ、先日初めて行ってきました。

ミュージアムには、彼が生まれてから今日までのすべてが紹介されています。写真、ユニホーム、ボール、トロフィー、賞状などの陳列の他に、映像が何本か流れています。有名な「努力の天才」という言葉も、ここでよく理解できました。小学校時代は野球以外にも、柔道やすもうで優勝したことも知りました。それほどのファンでない私も、2時間近く飽きることはなかったです。

その中で最も印象的だったのは、やはり伝説の「見送られた20球」でした。1992年8月16日の夏の甲子園・対明徳義塾戦です。

実は中学時代に、まずこんなことがあったそうです。「ある大会で初回から明らかなボール球を4球続けられた。秀喜はピッチャーをにらみつけたまま、バットを放り投げて1塁へ歩いた。すると味方のコーチが出てきて彼を殴った。試合後コーチは次のように言って聞かせた。『ひとつは、大事な野球道具を粗末にする者に野球をやる資格がない。もうひとつは、敬遠はルールで許されている立派な作戦だ。相手をにらみ、ふてくされた態度のお前の方がよほどマナー違反だ』と。秀喜は深く反省した」

さて明徳義塾戦です。5打席はすべて敬遠。最後の打席となった9回表、星稜は2-3で負けている。二死三塁の場面、最後もやはり敬遠でした。どんなに悔しかったことでしょう。見ていた私も憤ったものです。しかしそのとき彼は表情を変えずに真面目に1塁に立ちました。そして結果は次の打者で試合終了。星稜は負けましたが、山下監督は「松井はバットをもって、最後の1球まですべて真剣に構えた」と彼を讃えました。

そのときのことを作詞家の故阿久悠氏が詩にされ、ミュージアムに飾られています。ここに紹介させていただきます。

 甲子園の詩’92 『敗れざる君たちへ』 阿久 悠

『あなたはたぶん 怨みごとを云ったり 作戦を誹謗したりはしないだろう 無念さはおそらく 青春期の総決算のような形で 猛々しく噴出を待っているだろうが あなたはそれを制御し 次なる人生への勲章にし エネルギーにしてしまうに違いない

感情を小出しに爆発させ その時その時の微調整をくり返し 如何にも活力あり気に振舞う人とは あなたはスケールが違う ドンと受けとめて いつかやがて まるでこの日の不運が 最大の幸福であったかのように 変えてしまうことだろう

バッターボックスの中で 微動だにしなかった態度を称える ブーイングに便乗しなかった克己心を 何よりも立派だと賞める 照れたりくさったり呆れたり 同情を求めるしぐさを 欠片も見せなかったことを賛美する 一振りも出来ないまま 一塁ベースに立ち 瞑想していた男の顔を 惚れ惚れと見る

あなたの夏は いま無念の夏かもしれないが 流れの中で自分を見失わない 堂々の人間を証明してみせた 圧倒的に 輝く夏だったのだ』

阿久氏のなんと美しい詩でしょうか?感動します!また18歳の少年の、なんと美しい姿でしょうか?涙が出ます!素晴らしい一日になりました。どうもありがとうございます。

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2010年2月 2日 (火)

雪山登頂!

2月に入りました。立春の季節です。これからの雪は量も少ないので、仕事に山登りに一段と力が入ります。

さて先月の下旬、天気のいい日を選んで「富士写ヶ岳・登頂」にチャレンジしました。当日はウィークディにもかかわらず、私の前には5名のクライマーがいました。前回と違って足跡がしっかりついています。中旬に積もった雪も標高が高くなると新雪そのもの・・・青空の中、尾根沿いを軽い雪を踏んで歩く・・・いたって爽快でした。11時過ぎから登り始めて、頂上へは2時間半で着きました。

前回は途中で断念したために、喜びがいっそう大きく、眼前に映る白山連峰が一段と美しく見えました。そこから左には獅子孔山まで続く連山、右には大日岳から福井県の山々が続きます。日本海の方に振り向けば、福井市~坂井市~加賀市~小松市~白山市~金沢市まで一望です。「晴れた雪山は本当にいいものだ」と改めて実感しました。

下りはまた気持ちよかったです。さわやかな景色に包まれ、時折り大きな声を出したりして・・・子供のように無邪気にはしゃいで下りました。心に満足感と身体にほどよい疲れをもって、その後の仕事は一段とはかどりました。お疲れさまでした。

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