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2008年7月 6日 (日)

木野親之氏・講演会(2)

さて後半は、いよいよご自分が実際に体験されたお話です。

木野さんは松下電器にお勤めでした。35歳のとき、幸之助から「東方電機へ社長となって行きなさい」と言われたのです。東方電気はFAXの前身みたいな機械を造っていました。当時としては非常に珍しい技術です。そこの会社が経営危機に陥り、松下電器が会社の再生に挑みました。その白羽の矢が木野さんに当たった訳です。

当時の東方電機(後に松下電送となり、現在はパナソニック・コミュニケーションズ)は、売上高が800万円、経費が1000万円という状態でした。誰が考えても採算割れを越えています。当然給料も払えず、仕入れも未払いが溜まっていました。木野氏さんは「お断わり」を申し出ましたが、幸之助の「黙って行け。君ならできる」という言葉で、ついに決意をされたそうです。

製品の販売先は、新聞社や特殊な通信会社だけでした。当時の日本には数えるほどしかありません。木野さんは苦心の末、ようやく複写機の製造を考え出しました。そして事業計画書を作り、幸之助のもとへと訪れました。ところが幸之助の返事は、「君なぁ~人力車を知ってるやろ?自動車も飛行機もあるのに、人力車はまだちゃんと走っとる・・・」というものでした。

困り果てた木野さんは、悩みぬいた末に腹をくくりました。会社に戻り、期待する社員を前に、「案はない」と正直に伝えました。するとどこともなく、「社長!頑張ってください」「一緒に頑張りましょう!」という声が聞こえてきたのです。木野さん「そうだ。800万円売れてるじゃないか」と思い直し、今度は世界に向かって挑戦を始めました。それからというもの、社員は無給で働き、仕入れ業者も支払いなしで部品を納めてくれました。そしてついに、世界NO1のシェアを勝ち取ったということです。

松下幸之助の発想は私たちの常識を超えています。聞きしに勝る凄い方です。ただ、このときの二人の葛藤が、のちに大きな成功を歴史に刻みました。木野さんは講演の最後を、次の言葉で結ばれました。「悩みが大きければ大きいほど、そのあとの成功は大きい。今いるところで歴史をつくれ。悩みをつきつめていくと、そこには必ず成功と感謝が生まれる・・・」と。勇気の出る力強いお話を、どうもありがとうございます。

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