がばいばあちゃん
先日、長女から「お父さん、これ面白いよ」と1冊の本を渡されました。見ると、島田洋七氏の書いた「がばいばあちゃん」でした。なんでも、長女はこの本を妻の父親からもらったそうです。島田氏は来年1月に開かれるある勉強会の講師になっています。漫才コンビの「B&B」の頃はよく覚えていますが、その後のことはあまり知りません。勉強会のスケジュールを見て、正直、「なんで~?」と思いました。それでこの本には大いに興味を持ちました。
本には、彼の小学校時代から成人になるまでのことが書かれてます。彼は小学校2年生のとき、広島の母の元から佐賀に住む祖母に預けられました。それから中学校3年までの8年間、主人公の「がばいばあちゃん」に育てられました。「がばい」というのは佐賀弁で「すごい」という意味だそうです。それでは「洋七とがばいばあちゃん」の生活の中で、特に印象に残ったことを書き出してみます。
『★テレビもない、洗濯機もない、掃除機もない、ガスコンロもない貧乏な暮らし。家にあるものといえば、布団、枕、茶碗、湯たんぽ、蚊帳・・・そんなものしか思い浮かばない。
★テレビはなく、家の中で動くものといえば俺だけで、何もすることがない夜は、ばあちゃんはいつも俺をじーっと眺めていた。俺もばあちゃんのすることを眺めていた。
★毎日ばあちゃんといっしょに朝4時に起きて、かまどでごはんを炊き、学校に行く。家に帰ると、川からバケツで80杯の水をうんうん言いながら、畑と風呂場に運ぶ。
★「ばあちゃん、この2~3日、ごはんばっかでおかずがないね」と言うと、ばあちゃんは「あははは、明日はごはんもないよ」と言った。
★ごはんを食べてないので、空腹で夜中に目が覚めて「ばあちゃん、お腹すいた」と言うと、ばあちゃんは「夢や」と言った。ばあちゃんがそう言うので「夢なのかあ~」と思ってまた寝ようとした。でもまた目が覚めて「やっぱり夢やない」と思うと、寒いのとお腹がすいたのとで涙が出てきた。
★ばあちゃんが言う。「二日働いたら千円になる。そしたらそれで米を買う。味噌を買う。醤油を買う。それがあったら死なん。おかずはあとからついてくる。がっはっは」
★ばあちゃんは家の前を流れる川を「スーパーマーケット」と呼んでいた。川に棒を渡しておくとそこに上流から流れてきた野菜がひっかかる。上流に市場があって、曲がったきゅうりとか二股の大根とかを捨ててしまう。きゅうり、大根、りんご、白菜、桃、キャベツ。少し痛んでいるけど、いろんなものが引っかかる。何にも流れて来ない日は「今日はスーパー休みかい」とばあちゃんは残念がってた。あはは。
★ばあちゃんは7人の子供を産んだが、7番目が生まれてすぐにじいさんが亡くなった。突然生活に困ることになったが、ちっともメソメソしなかった。今にして思えば、ばあちゃんは何もかもわかって貧乏をやっていたのだろう。俺も「うちにはなにもないなあ」とは思ってはいたが、それが「貧乏」だとはちっとも思わなかった。「うちは貧乏なのかな」となんとなく思ったのは小学校5年の頃だろうか?・・・』
これだけ書くと、どれだけ貧しい生活だったかが想像できます。でもその中には、暗さどころか明るさが感じられるのが不思議です。続けて、がばいばあちゃんの考え方をまとめます。
『★8歳で佐賀に転向した時、ばあちゃんは「学校はどうだ?」とか「勉強はわかるか?」とは全然言わなかった。その代わりにひとつだけ、しょっちゅう口やかましく言われたことがある。「笑顔は宝じゃ。笑顔できちんと挨拶しろ。貧乏人がやれることは、まず笑顔じゃ」と。
★ばあちゃんは「人生は川ばい」とよく言っていた。ばあちゃんによると「川はくねくね曲がってるし、勢いが強くなったりゆっくりなったり。幅が広くなったり狭くなったり。にごったり澄んだり。こんなにきたなくにごってると思ったら、ある日、きれいに澄んでいたり・・・人間もときにはにごったりする。でもそれで、ええ。人間、死ぬ時に、51対49でしあわせがひとつでも勝てばええんじゃよ。人間は欲が深いから、しあわせになろう、しあわせになろうとばっかりする。でも、そうせんでも、普通でも、十分にしあわせじゃないかい。人間は悩みがあったらすぐに落ち込む。でも人間には悩みの袋が50と、しあわせの袋が50あって、死ぬ時にはちゃんとしあわせの袋が51あって、ひとつ勝つから心配せんでよか」と。
★高校時代にひじの事故で、野球が絶望的になってばあちゃんに相談した。ばあちゃんは「世の中1万種くらい仕事はあるぞ。治らんもんは治らん。それだけをずうっと考えとったら、おかしくなるだけじゃぞ。野球だけが人生じゃなか。手がダメならサッカーばせんね。考えてもみんしゃい。おまえはもともと野球のためだけに生まれてきたわけじゃなかろう。世間に見栄を張ったり、世間を気にするのが一番だめやぞ。世間に見栄を張るから、つらくなるばい。世間に見栄を張るから、だめになる・・・といろいろ迷って、逆恨みしたり、自殺したりするばい。でも、夢は持たにゃいかんぞ。夢は叶わなくても、ええ。しょせん夢なんじゃから。だから死ぬまで夢はどんどん見ろ。人生はそれの繰り返しぞ」と俺に言った。
★ばあちゃんがよく言っていた。「人生は死ぬまでのひまつぶしだぞ。いろんな仕事をして死ぬまでひまをつぶせ。仕事はいいぞ。お金ももらえる最高のひまつぶしばい」と・・・』
宗教家でも教師でもない・・・与えられた人生において、前を向いて、ひたすらたくましく生きてきた・・・そんな生きざまから出てくる、まさに力強く正しい言葉です。かなり大人の私にもよく響きます。心のマッサージになりました。そしてまたひとつ・・・思い出の1冊が増えました。
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コメント
コメントありがとうございます。
人生にも勢いがあったりなかったり、広くなったり狭くなったり、そして濁ったり・・・それでも希望はいつも胸にもって・・・前向きに頑張るだけですね。
投稿: 黒田です | 2007年12月20日 (木) 12時37分
『人生とは川』
澄んでいる時もあれば濁っている時もある
本当にそう思います。
投稿: YM入居者です | 2007年12月19日 (水) 00時44分