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2007年11月 9日 (金)

黒四(3)巨大アーチダム

間組は大型土木機械を駆使して、丸山ダム・佐久間ダムなど次々と完成し、ダム構築に新時代を開いてきました。その功績を見込まれて、難関の黒四ダムの指名を受けました。責任者は中村精(くわし)氏、「どんな仕事も食らい付いたらやり遂げる・・・マムシの異名を持った男」でした。

完成まで7年、絶対に遅れは許されない・・・ダム工事もトンネル着工と時を同じくして、作業員たちが立山を越えて準備工事に入りました。トンネル貫通が少しでも早くなるようにと、満足でない器材で黒部側から岩盤を掘りました。また少しでも工事を早く進めれるようにと、ブルドーザーを立山超えで現地に入れたほどでした。仮説宿舎で2度の冬を越しました。

そしていよいよ待ちわびた「大町トンネル」が開通しました。機械や資材がどんどん運ばれてきました。ダムの本格着工に全員が意気込みました。高さ186メートル、長さ492メートル、2億トンの水を溜める史上最大の巨大アーチダムです。しかし残された工期は5年でした。その間に黒部川を堰き止め、未開の山肌を切り崩し、日本一のダムを造らなければならない・・・中村氏は大胆な作戦に出ました。

「深い山肌を一気に吹き飛ばす!」火薬の総量80トンの空前の大発破でした。6月20日、関西電力の太田垣社長も見守る中、発破は大成功・・・予定通り山肌の土を吹き飛ばしました。続いて優秀なブルドーザー部隊がどんどん土を削り去って行きました。幾度とない雪崩や落石・・・彼らはへこたれずに頑張り続けました。さらに34年9月には、伊勢湾台風が現場を襲いました。黒部川は激流となり、堰き止め用の防波堤を押し流し、川べりの宿舎までもを流し去ってしまいました。

「もうこれ以上遅れることは許されない」・・・工事のスピードは400万トンのコンクリートをいかに早く打設するかにかかっていました。10月に凄腕のクレーンオペレーター、安藤忠義氏が現れました。それまでは4分半かかっていたものを彼は3分半でこなしました。それでも中村氏は許可しませんでした。「まだ遅い。3分以内で運転しろ!」と。それに応えて安藤氏もどんどん早くなっていきました。まだまだ工事のスピードを上げなければならないということで、それまでの1.5倍の大きさのバケットが現場に持ち込まれました。「これまで通りの3分だ!」・・・安藤氏は毎日12時間、必死でレバーを握って頑張りました。

コンクリートの打設量、1日8,653立方メートルという新記録が打ち立てられました。こうしてダムは加速度を上げてどんどん進んでいきました。昭和35年11月、ひとつ目の発電機がウナリをあげて動き出しました。15万4千キロワットの発電が開始され、いよいよ電気が関西へと送られたのです。そして昭和37年8月、この日から最後の発電機が動き出し23万4千キロワットの発電が行われました。それから10ヶ月~昭和38年6月5日、黒四建設のすべてが完成し、竣工式が執り行われるに至りました。

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