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2007年1月10日 (水)

織田信長

今年の正月は池宮彰一郎作の「本能寺」を読みました。日本史において、戦国と太平洋戦争が最も悲惨な時代といわれています。織田信長はその時代に生き「戦争のない国にする!」という信念で立ち向かった・・・各武将を次々に倒し、全国統一を目前に無念の最後を遂げた・・・ことは、あまりにも有名です。去年のあるテレビ番組で、歴史上人物・人気ナンバーワンだった「織田信長」、それに多少の疑問をもっていましたが、この本を読んで十分納得するところがありました。

歴史では、革命や統一における「戦い」だけがあまりにもフュイチャーされます。実は、それらには必ず「原因~人物登場~念い~戦争~処理~理想国家」という流れが存在します。この本では信長の「念いと理想」がしっかり書かれてありました。彼は広く世界から学び、ローマ帝国をしっかり勉強し、平和で自由な民主国家を創ろうと考えていました。まさに小泉首相が創ろうとしていた日本です。

安土城のまわりに作った「楽市・楽座」は、当時の大商人が持っていた既得権を廃し、自由競争を推進するものでした。また、自分の配下の武将には各地の所領は貸与という形にしてありました。現在でいうところの「国税」の準備だった訳です。おもしろいエピソードが載っていました。「信長は各地を飛び回り一ヶ所に留まることがなかった。ある屋敷に信長がたまたま立ち寄ったときに、そこを司る女衆が不在であった。そこで彼は憤り女衆を厳しく成敗した」・・・今でいうと「市民の税金を働かずして取るような役人は許せない」といった話です。信長はそこまで細かく口を出していた・・・相当多忙だったことでしょう。

信長が本能寺で倒れ、その後秀吉が全国統一を果たし、家康に引き継がれました。しかし信長が理想とした国家運営から考えると、日本は世界から後退していきました。もし信長の命がもっと十分にあったとしたら・・・もしかして当時の日本は早くから先進国の仲間入りをし、今では名実ともに世界のリーダーシップを執る国家になっていたかも知れません。

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